香雪園の歴史
ウィキペディアより
行商から身を興して北海道内で有数の呉服商となった岩船峯次郎により、1898年(明治31年)頃(一説には明治28年もある)
温泉保養地として豪商の別荘が建ち並ぶようになった湯川地区に造成された。
香雪園という名は、大正時代に来函した浄土宗知恩院の貫主に「雪の中に梅香る園」という意味で名付けられたとされている。
岩船家は、商売繁盛の恩返しのため公衆トイレや芝生広場をつくって1927年(昭和2年)から市民に無料開放した。
1955年(昭和30年)になると市と岩船家の間で無償賃借契約を結び、隣接するゴルフ場を含めて都市計画決定した。
1959年(昭和34年)には市が岩船家所有の土地を買収した。
13ヘクタールを超える園内には、書院造風の園亭や池などからなる純和風の園亭庭園区、渓流の滝組などが見事な景観を呈している渓流庭園区、
さらに煉瓦造の温室と沈床式花壇などからなる西洋風の温室庭園区により構成されており、各庭園区が空間を共有しあって景観を構成していることが特徴となっている。
2001年(平成13年)に香雪園は国の「名勝」に指定され、北海道内で唯一の国指定文化財庭園となった。
2009年(平成21年)から『はこだてMOMI-Gフェスタ』を開催しており、紅葉を楽しむことができる。
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函館屈指の大呉服店と称された老舗
岩船呉服店の岩船ヤスと三代目岩船峰次郎。
出典=函館ゆかりの人物伝-->こちら
https://www.zaidan-hakodate.com/jimbutsu/01_a/01-iwafune_ya.html
(ウィキペディア)では、行商から身を興して北海道内で有数の呉服商となった岩船峯次郎によりと記載されておりますが、園内の板倉内部の資料によると以下の様に案内されております
※※※説明文がラミネートで覆われているためライトの光が当たり文字が写らないため斜め撮影

名前は一番上の右端にあります
マクロで撮るのを忘れたためにわかりにくいと思います
マクロでの画像は準備中です

商いとは商才だけでは無く、人徳も必要かもしれませんね
函館豪商の番付


芝生広場で開催された運動会ですね

函館の豪商と言われる人たちは函館を中心に海外から地元の方までを対象に商売をしていたはず
当時の函館市民の消費も活発なものがあると思います
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名勝とは
文化庁より
「文化財保護法」では,「庭園,橋梁(きょうりょう),峡谷,海浜,山岳その他名勝地で我が国にとって芸術上又は観賞上価値の高いもの」のうち,重要なものとされています。すぐれた国土美の有様を様々なかたちで表現する名勝は,風致景観の観賞を通じてその価値を発揮する記念物です。主として人間の作意と技術によって造られた人文的なものと,主として天然の営為や素材によって生じてきた自然的なものに大別されます。
著名な風致景観に名所を見いだし,また,名所のすぐれた風致景観に価値を見いだす名勝の特徴は,史跡と天然記念物とに重複して指定されることが多いことにもうかがうことができます。
日本に暮らす人々がそれぞれの土地に紡いできた思いを,名所や風景,庭園に継いでいくのが名勝です。
名勝柱

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ミシュランガイド
東駐車場には函館の観光スポットがあり、その中に香雪園も紹介されております




